2012年7月31日火曜日

大切な時期の靴

学校指定靴が足に合わないために
足を痛めてしまった高校1年生からメールを頂きました。

とても素直で芯のある女の子で
靴がとても大事なモノであることをちゃんと理解していたのだけど、
その足自体はとても健康的な足をしていてなんの問題もないのに
学校の規則のために、その規律を守ろうとしたために
もはやその学校指定靴を履けないほどに、足を痛めてしまったのです。

指定靴や制服を否定するつもりはありませんが、
学校がそれを指定し義務付けるなら
やはりちゃんと足のサイズを測ることが必要だと思います。
靴を買う場所を決め、そこでシューフィッターに靴を選んでもらうこともできるはずです。
ちゃんとしてほしいなぁとつくづく思います。
足に合っていない靴となると、学校生活に支障をきたすことになってしまい
身体の不調、心の不調へと繋がっていきそうです。
歪んだ姿勢では健全な精神も育むこともできないでしょう。

自らオーダーメイドの靴屋を探し、自らの判断でつくり手を決め
詳しい料金もプロフィールも、学校の靴ができるとも書いていない、
不親切で自己満足的な私のところへ
たぶんとても緊張しながらメールを書いてきたんだと、想像します。
彼女の気持ちに応えるには十分すぎるほどのお手紙で、
優しい靴をつくってあげたいなと思いました。
この夏休み中(やく半月で)に仕上げます。
この納期は今までで一番早い。でもそれは必要なことですので、
お待ち頂いている大人の皆さま、ご理解下さいますようお願い致します。

仕事は自分でつくっているつもりでしたが
実はほとんどが他者から頂きものだったりします。
学校の靴をつくれますよ。どうぞいらしてください。と示すより先に
学校の靴をつくってください。そんな仕事はいかがですか。と差し出される。

たぶん世の中には身近なところも含めて
まだまだ潜在している悩みがくすぶっているような気がします。
そんな人にこれからも巡り合えることを願っています。

2012年7月22日日曜日

身体の延長

ヌメ革とコルクと天然ゴムの朴訥として可愛らしいサンダルができました。
このサンダルはあつらえ靴のお客様Oさんの2足目です。

Oさんは左右で足の長さが異なるため、片足は背伸びしているような姿勢でした。
ご自身でも既製靴の中敷きにコルクを入れるなどして工夫もしていて、
スノーボードもそんな風にして上手に滑っているくらい、
自分の身体とうまく暮らしています。
Oさんをみていると、身体が左右対称であることとか、まっすぐだとか水平だとか
見た目には大事なことかもしれないけれど
身体が整っていることとイコールではないことを教えてくれます。
それでもサンダルだけは足を出すカタチが多いために、
見た目に難しく、夏の履き物には困っていたようでした。

このサンダルで
Oさんが夏を楽しく過ごせるようになってくれたら嬉しいです。

サンダルをつくるときは、前職の装具屋さん仕事を思い出します。
サンダルは足の動作を出来る限り妨げずに
それでいて、足にしっかりに付いてくるようにつくらなければなりません。
それはまさに装具の考え方です。
装具には飾り付けがありません。歩くことに必要ないからです。
それでもフォルムや素材で美しく、格好よく、可愛く、素敵に仕上げることができます。
それは身体を美しくすることでもあるかもしれません。

格好の良いサンダルをつくることより
格好の良い身体をつくれるようになりたいと思っています。

身体と遠く離れて、身体と交わらないモノよりも
身体の延長線上にあるモノをつくることが
ずっと道具としての魅力があると思うからです。


2012年7月17日火曜日

先日、3回目となる蛇との戦い。
狙っているわけではないのですが
つばめの巣に近づこうとする蛇君に
ちょうどそのタイミングででくわすのです。
また見つかった。。と残念そうに逃げていく後ろ姿。
その勝負運の悪さが哀れで、
なんだか同情して駄目な奴だな~と
今度は見付かるなよと言いたくもなります。

そんなことを知ってか知らずか
2羽の燕が慌ただしく飛び回っているなと思っていたら
小さいお顔がチラチラ。小さな鳴き声がチッチッ。
雛が無事に産まれたようです。
ほっとしました。

先日、保健所から電話があり
地元の高校生に子育ての話をしてもらえないか、とお願いをされ
家族3人で高校生たちに会いに行ってきました。
同じように依頼を受けたご家族も集まって
地元の高校生たちと数十人に囲まれて
和気あいあいと賑やかな集会となりました。

そのとき、高校生からの質問で
「赤ちゃんが産まれて嬉しかったことはなんですか?」
と聞かれてうまく答えることができませんでした。

うれしい、と思ったことがすぐに浮かんでこなくて
辛いこと、大変なことばかりだったことに改めて気付きました。
嬉しいことがあるから、子育てをしているわけではないし
見返りがあると信じているわけでもない。
でも自然と身体は動いている。
一生懸命になれることに理由はないんだけど
その高校生は、子育てにはなにか旨味があると純粋に信じているんだなと思いました。

私もそうでした。幸せそうな家族をみて、そう信じていました。
でも子どもを授かってからは毎日毎日と1日単位で区切れないほど
休みなく子育てに追われて、それは思い込みであることに気付かされます。
親になってわかったことは
嬉しいより、楽しいより先に
勝手に身体が動くようになること。
命を育むのはおなじ命。
大きいも小さいもない。
必死で生きようとする命に、必死になって命で応えなきゃ
小手先では通用しない。
でもその繰り返しのなかで
いっしょに成長しようと希望ばかりが目の前に浮かぶ。
だから子育てが愉しくて仕方がない。

つばめさんも毎日必死に蛇や雀と戦いながら
雛に餌を運んできます。休んでいる暇などありません。

育児は大変でしょう。
大変だなんて考えたこともないよ。当たり前のことだから。
頭で考える前に、身体ふかくからの衝動に素直に動いているだけだよね。
そうなんだよ。理由もなく可愛くて可愛くて仕方がないんだよ。

2012年7月16日月曜日

さようなら原発

さようなら原発10万人集会

本日16日、東京都渋谷区の代々木公園で
「さようなら原発10万人集会」がひらかれます。

デモをすることはそんなに好きではないんだけれど
さようなら原発、という言葉の響きが好きです。
参加する予定はありませんが
その時間、心だけは共に過ごそうと思っています。

さようなら。ありがとうございました。原子力発電所。




2012年7月12日木曜日

靴を洗ってますか。

気持ちのよい靴は洗える靴だと思います。
クリームをぬったり、オイルをぬることも大事なお手入れだと思いますが
まずは水で洗ったり、綺麗な布で拭いてあげるほうが
靴も気持ちいいような気がします。
美しい革を求めるなら、足すよりも引いたほうがいい。
引いて引いて現われてくる真の素材に惹かれます。
私の毎日履いている白なめしの革靴。
日々の庭仕事でついた土や埃の汚れをタワシで洗い落としました。
靴を履いたままでゴシゴシ。
湿った革を綺麗に拭いて、風が気持ちいい庭先に干して終わり。10分でできます。
乾いた革は、また一段と綺麗で温かな白色になりました。



白なめし革は中国から伝わってきたなめし技法で
1000年以上前から日本の姫路で伝承されてきました。
塩と菜種油だけで仕上げています。
効率性とか生産性など無視した職人の手仕事による天然革。
製品となったあとも、
汚れは水で洗い、太陽で干して使い続けるなかで
ますます白くなっていく様は、天然素材だけがもつ強さを感じます。
原革は西日本の鹿やイノシシの革。
害獣として殺されてしまった野生の動物革を使っています。
捨ててばかりだったその革を、引き受けたのが
現在世界でただ一人白なめしを受け継いでいる新田さんでした。

あつらえ靴で白なめしを使ってほしいという声も多く頂きます。
私もこのような背景のある革を
これからもあつらえ靴に仕立てていきたいと思っています。



靴を洗っている横で
プールでアヒルと遊ぶ息子と
それをのぞきに来た赤いカニさん。
まさかカニさんまで遊びに来るとはびっくりです。




そして今日もまた嫌な予感がして燕の様子を見に行ったら
おんなじ蛇が巣に接近中。
持っていた棒にからめて投げ飛ばして、それをうしろで見ていた妻に
ちょっといいところをみてもらうことができました(笑)

2012年7月6日金曜日

よろこび


家の周りには梅の木がたくさんあります。
とってもとっても取りきれないくらい梅が鈴なりに実っています。
すぐにでも梅干しや梅ジャムなどなどつくりたいところですが、
まずは収穫した梅を細かく砕いて
福島原発由来の放射性セシウムがどのくらい含まれているのか検査してもらうことに。
昨年はセシウムが少なからず検出させたようで、今年はどうかなと不安でしたが
結果はセシウム137,134合計で6,0ベクレル/キロでした。
137,134ともに3以下であり、下限値3,6の計測方法だったため正確ではありませんが、ほとんど検出しなかったことになります。
大田原の梅は一部出荷自粛要請のことを考えると
昨年よりも低くなったことと一ケタ台であることが良い結果だったと思っています。

そしてやっと調理開始。
しばらくはこんな感じで、これは食べられるのかな?って
身の周りを疑うようになるでしょう。
でも私たちはそれから考えるようになる。
どうしたら、
放射能や農薬、排気ガス、化学薬品と暮らしていけるのか。
知恵を絞るようになって、丈夫な身体をつくって
ただ生きることに力を注ぐことになる。
私はそれを生の歓びだと思っています。


2012年7月3日火曜日

幸せな赤い靴


私の仕事のほとんどは注文靴のため
めったにサイズサンプルをつくることはないのですが
一昨年、展示用に久しぶりに少しつくりました。
私の場合、色は直感というか適当に選ぶところがあり、
自慢することではありませんが
この色が売れるだろうとか使いやすいとか一切考えません。

そして訳もなく選んだのが赤い革の靴。

ある日の展示会でお客様Sさんが
試し履きで履いたその赤い靴がとても履き心地が良いと感動してくださり、
サンプルのこの靴を買うことはできないでしょうか、と尋ねられました。
売り物ではないと説明はするのですが
この赤い靴の気持ちにもなれば
もうそろそろサンプルとしての仕事を終え
大切にしてくれるご主人と幸せに暮らしたいだろうなと思い
承諾いたしました。
実際、足にちゃんと合っていましたし
心地良さの気配もとても伝わっていました。
シンデレラのような話です。

先日、工房まで靴を引き取りにいらしてくれたのですが
これがまた可愛い車に乗っていたんです。
幸せマーチって覚えていますか。
見つけると幸せになるという日産のCMありましたよね。
綺麗にお手入れされた水玉模様のみずたマーチ、初めて見ました。
Sさんは車の移動が多いみたいなので
この赤い靴もこんな車に乗れて幸せだろうと思います。
そしてこれからは
みずたマーチのように出会う人を幸せにするような靴になってほしいと思っています。

そしてまた赤い靴のご注文がはいり
今日、東京のお客様のもとへ発送します。
幸せを届けるような気持ちになります。
つくる私もなんだかいい気分になります。
赤い靴をみたら幸せになるかもしれません。

2012年7月1日日曜日

相馬紳二郎さん



栃木に相馬さんという靴の作家さんがいることを2年前に三浦の器屋さんで知りました。
靴は独学で、注文品は1年待ち。農業もこなすとても生きる力の強い人という印象でいつかお会いしたいなと思っていました。

茂木へ引っ越してきて、まだ家の中が段ボールだらけの中で始まったGW期間中のスターネットでの展示会。
告知もほとんどなく、ふらっと来てくれたお客さんに手渡しでご紹介するような緩やかな展示会。

ある日の夕方に
タダものではない雰囲気の男性が訪れ、興味深く靴を眺めてくれていたので
声をかけると「相馬といいます。」と自己紹介され手を差し出してくれました。
それからいろいろと閉店時間を過ぎても話は尽きず、
帰り際に名刺を頂き、住所をみると茂木町の文字。
まさか町までいっしょとは思ってもいなくて、ほんとうに驚きました。

先日、相馬さんが展示会のハガキをもって遊びにきてくれました。
地元のおまんじゅう屋を教えてくれたり、茂木の野菜やお米のことを教えてくれたり、
放射能測定所も相馬さんに教えてもらった情報です。

相馬さんの靴は独学ながら歩くことをちゃんと考えてつくられていて
手孝足想を地でいく方。私も見習いたいと思うモノをつくる姿勢です。
また材料のことも深く考えられていて今当たり前のように買える素材が明日買えなくなるかもしれないと想定しているそうです。
相馬さんの今できることを明日に頼らず暮らす日々を想像します。

いまほとんどの革やその他靴づくりに必要なの材料も輸入品です。
世界経済の情勢や政治判断によって、状況がかわる不安定なモノです。
また国産の素材にしても、多量生産品だったりそれこそ今問題になっている大量のエネルギーを使う製品だったり。
またそれは靴の材料だけのことではなく、身の回りの食品から家にいたるほとんどすべてのモノに対していえることでもあります。
相馬さんは廃材を好んで使っていますが、それは素材も自給することの表れだとよくわかることができました。
いつも愛用している10年履いているというご自身の靴がとても素敵な雰囲気でした。
それはお金を出しても買えませんが、相馬さんの靴を10年履いて歩けば手に入ります。

展示会のお知らせ
 6月30日~7月8日 「7+1」
うつわとくらしs o l 神奈川県三浦市 
 8月1日~8月5日  「白イうつわ 革ノくつかばん展」
自家製天然酵母パンとケーキの店 樸木 奈良県生駒郡 
 
見方をかえてみると
身の回りにあるモノはお金では買えないものばかりです。
時間が経ち愛着のあるこの靴が壊れてしまったら
同じものをつくることも買うこともできません。
今日、製作に使った豚の革とまったく同じ革はありません。
今日、食べた今年実った梅の実も来年とれるかどうかわかりません。
今日からつかまり立ちをはじめた息子と
昨日の芋虫みたいにゴロゴロしている息子も別人です。
そんな風に世界を眺めると
もうどんな存在もかけがえのない、いとおしいモノに変わっていきます。
すべてのモノを自給することは難しいけれど
すべてのモノを大事にすることから始めてみれば
たとえそれが100円で手に入れたモノでも
もう次の瞬間からいくら積まれても譲れないモノになるかもしれません。

時間がすべてのモノに固有性を与えてくれる。
時間はお金ではなく、時間はいつもただの時間。
長いか短いか、速いか遅いか、ひとそれぞれ持っている時間。