2012年9月23日日曜日

岡村美穂子さんのお話



先日は土祭セミナーによる
岡村美穂子さんのお話を聞くことができました。

わたしの記憶の範囲ですが
間違いもあるかもしれませんが
とても素敵な1時間のお話でしたので
来れなかった方へすこしおすそ分けしようと思います。

岡村さんは仏教思想家の鈴木大拙の秘書を長年務めた方で
約半世紀前に益子へ訪れ、濱田庄司の家に泊った日のことを
丁寧にお話してくださいました。

本でしか知ることのなかった
記号のような白黒の情報としての濱田の言葉が
岡村さんがそのひとつひとつをかみしめるように何度も口に出す度に
臨場感にあふれ、当時の景色がこちらにも伝わってきて、
とても新鮮で生々しくて、私の記憶にも刷り込まれていくのが
素直に嬉しかったです。
益子参考館の見え方が変わる、そんな愉しいお話でした。

そして、「無心」ということについて
時間をかけてお話してくださいました。

アメリカで育った岡村さんは
日本の暮らしに宗教の時間がないことに戸惑い、
鈴木大拙先生にそのことを相談したところ、
「日本人にとって、文化=宗教だ」と教えてくれたそうです。
日本の文化である、道がそうです。
柔道、茶道、華道、合気道、弓道、、、
道を語る上でたびたび出てくる、無心という言葉。
それも何なのか、わからなくて、知りたくて
鈴木大拙先生に尋ねたそうです。

 人はその脳の発達のお陰で
 自我を手に入れることになった。

 自我を手に入れることで
 主観と客観の概念が生まれて、もともと1つだった人は
 その二つに分かれてしまった。

 二つに分かれたことで、
 人は迷い、止まり、間違えるようになった。
 
 それではまたひとつになるにはどうしたらよいか。
 どうしたらひとつになり、ひとつだった本来の人になれるのだろうか。
 ひとつの自分を取り戻すためには、どうしたらよいか。

 それにはただ反復しかない。
 繰り返し繰り返し、稽古に励むことで
 いつか、勝手に手が動くようになる。
 動かそうとしたら、そこにはもう自我が入り込んでいる。
 動かすのではなく、動く。

 それが無心です、と。
 
岡村さんは濱田先生のことをもう一度話してくれました。
ある朝、濱田先生が湯のみをつくっていたそうです。
それも早朝に弟子が工房へ来た時には、既に75個も出来ていたそうです。
それで、その弟子が濱田先生に夜通しやっていらしたのですか?と尋ねると
濱田先生は1時間だと、このくらいどこの陶工もやってしまうことだ、と。

つまり、少しでも自我が入り、少しでも迷えば1時間で出来るはずがないんです。
無心でないと、こんなことはできない。
身体は自分の意思で動かすのではなく、なにか別の力によって動かされている。
生きているのではなく、生かされていることを知る。

そうして生まれた湯のみはきっと
無作為で健康で美しいのでしょうね。

この話を聞いて、
靴作りも靴道となるのかなぁと思いました。
無心に至る道は、反復。
私の一番苦手な、反復。
これからのいい修行になりそうです。